4-1. 例えば「いちご」という言葉

赤ちゃんが一番初めに話した言葉

赤ちゃんは生まれた時から(お腹にいる時からかもしれない)お母さんや周りの声をよく聞いていて、
何度も繰り返される毎日の生活の一こまの中での、赤ちゃん自身の「要求」や「経験」赤ちゃんにかけられた「言葉」が結びついたときに初めて「言葉」を習得するそうだ。

まだ話し始めるまでの2歳くらいまでは「習得されている言葉」は聞き溜められていて、ぽつっとなにかの拍子で話し出す。

ちなみに「赤ちゃんが一番初めに話した言葉」って、周りのお母さんから(聾学校ではなく他関連ではあるが)聞くと、オウムと似ているなあと思うのだが、やはり家の中で最もよく使われていた言葉が多いようである。
もっともこの場合は「赤ちゃん自身にかけられた言葉」というよりも「普段一番耳にしていた言葉」という事になるが。

中学の時の友人はタオル工場に嫁いだらしいが、そこの子が一番初めに話し出した言葉は「タオル」だった話はちょっと笑ってしまった。

玄には4歳下の妹がいて彼女は聞こえる子なのだが一番最初に話した言葉は

「げんちゃ~ん!!!」だった。いかに私が大きな声でいつも玄の事を何度も叫ぶように呼んでいたか。というのを改めて思い知らされた。

子供との経験を絵日記にして会話をする

聾学校の指導のもと、玄との生活の中で彼が興味を示したことを中心に絵日記を描いた。

これは別に絵がうまいとか下手とか関係なく、学校からの宿題であって、いわば「コミュニケーションツール」のようなものであった。

以前書いた、ことばは育つものでの日記の提出は私と先生の間の情報共有の日記であったが、
他にも、子供と母(先生)が子供との経験を見える形にしてやり取りする絵日記も必要だった。

家でこの絵日記を子供と見ながら何度も話をし、更に同じ内容で子供と先生がやり取りする。。母国語習得にはその繰り返し繰り返しが大切だった。

例えば「いちご」という言葉

うちでは誰かの誕生日の時、玄と一緒にケーキをよく作っていた。

「いちご」というのは僕がケーキに載せたきれいな粒々の赤いもの

3歳の時絵日記

3歳の時絵日記

4歳の時絵日記

4歳の時絵日記

それを食べる時、いつもみんなが幸せそう。
そして食べたら甘くて僕も幸せになるもの

ある時は

5歳の時絵日記

5歳の時絵日記

お父さんとお母さんとで車でドライブして一緒にとりにいって、白くて甘いもの(練乳)につけて食べたもの。
お父さんもお母さんもおいしそうで食べ過ぎたとかいいつつ、それを取りに行ったのはとても楽しかったこと

それが玄にとっての「いちご」であって、言葉というのはあくまでも記号のようなもので経験に言葉がのっかっている。
(先生の赤ペンの“マー”や“バウバウ”は玄が絵日記で先生とやり取りしているときに出した言葉。)

聞こえない子とのやりとりなのでこういう形で表しているが、私たちも経験と言葉の結びつきってこんな感じなのかもしれない。
人間なのでそこに感情も結び付く。

余談だが義母は戦時中小さい時にけがをした人を見て以来未だに「いちご」や赤い食べ物が苦手である。
「食物アレルギー」の中には(もちろんすべてではないが)過去の負の感情によるものが多いと言う話をこの間聞いた。

玄にとっての「いちご」は上の絵日記のような「楽しい感情」をたくさん含むもののようだが、義母にとってはその逆のようである。