これまでの話は
日記ー妊娠、出産まで
2-1. 検査の結果
2-2. ねえ。この子聞こえてる?
2-3. 子供が怖い
2-4. 形成の受診。感じた事
2-5. 届いた祈り
2-6. 聾だと宣告される
私は不幸なのか??

2012・撮影
「ねえ。純子さんって偉いわね。赤ちゃんに障害がたくさんあるのに明るくしてらして。。。」
ぱっと思いつかれたことをおっしゃったのかもしれない。褒めてくださったのかもしれないけど、その時はものすごくひっかかった。
特に「明るくしてらして。。」の部分である。
「偉い」と言われたことにも少し抵抗があった。
子育てはまだ「これから」なのに何が偉いのかなあ。。。と内心思ったりしていた。
たくさんの障害を持って生まれたわが子だけれど、だからと言ってそれがイコール「不幸」とは思いつかなかった。
いつも考えている事は毎日負われる赤ちゃんの世話があり、夕飯何にしようかー、今月の支払いいつにいくらだっけ?と普通の赤ちゃんもちの主婦と変わりなかったように思う。
ずっと明るくしているわけでもなければ、ずっと暗い顔をしているわけでもなく、
怒る時もあれば、子供の事で不安になるときももちろんあったし、、、
確かに病院通いも普通の赤ちゃんよりも多いし、聾だと宣告された時はショックだったし、背中の事や他のことも心配の種はつきないし、まあ凹むこともあるけれど。。
でも障害の内容も別に命そのものは問題ないわけだし。。。。
そりゃ「大変?」と聞かれれば「うん大変かも」と答えたかもしれない。
だからといって不幸とは思ってなく、いつも暗い顔をしているわけではないのだ。
障害児の集まる学校や施設に行っても、明るい人は明るいし、いつも暗い人は暗いし、、それはどこの世界に行っても同じなんじゃないかなあと思う。
やはり「障害がある子を授かった事」に対して自分が想像している以上に世間はネガティブなイメージでとらえられているものかもしれない。
その時は勝手に、人から「大変」→「不幸」のレッテルを貼られているような気がして、そういった言葉に敏感だったのだと思う。
別にはっきりと「あなたは不幸ね」と言われたわけではないのに、ちょっとした一言でいろいろ考えてしまった。。。。
話は急に聾学校高等部時代に飛ぶが、PTAで仲良くなったママとランチした時にたまたまそんな話がでた。
彼女はノリが私と似てたのでゆっくり話せる時間が嬉しかった。
彼女の娘さんは聾に加え顔の奇形もある。幼稚部にいたその時でも顔の奇形はわかる状態だった。知的障害はなく、幼いながらも自分の意見を言う(伝える)明るい女の子であった。
やはり先ほど書いたような私が言われたようなことを彼女も人から言われていた。
「えー?別にーーうちらフツーやんなー!確かにいろいろ障害あるけど、、、それが一体、だから何?」
そんな話で盛り上がってしまった。
他の子の育児とは確かに違う点は多いのかもしれないけど、「これが私の育児」なのであって、別にそれ以上でもそれ以下でもないように思う。
今になって言えることだけど、、、
普通の子が当たり前にできることが出来た時、期待していなかった分、喜びは大きかった。
普通では「当たり前」のことが嬉しかった。
その喜びを得られたことは逆に幸せな事なんじゃないかなと思う。