4-2. かわいいけど同じくらい腹立つ。子供ってそういうもの


救われた言葉

幼稚部へ進む前の絵日記

幼稚部へ進む前の絵日記

幼稚部は同じ聾学校内の幼稚部にそのまま進んだ。

乳幼児部と違うもう一つの(大きな)ことは一週間のうちの月曜と火曜は聾学校指定の一般の幼稚園に通う事だった。

(障害のある子供が通う)特別支援学校に進んでも「通級学級」といって他の学校に籍を置く児童・生徒が、決められた曜日・時間に該当校に通い、特別な指導を受ける学級(週1回程度)というのがある

「一般の子供たちと交わい過ごす経験」というのは障害のある子供にとっても一般の幼稚園の子たちにとってもお互い、いろんな面でよかった。
幼児期に「いろんな人がいる」という事を経験するのはとても貴重な経験になると思う。

そして母たちにとっても同じくいいことだなーと思った。
私にとっても、一番最初の子供が障害のある子なので「障害のない子供の発育や成長」というものが全く分からなかったのでそういう意味でもよかった。

息子は多摩センターにある幼稚園に通う事になり、そこの入園式の時点から参加した。

そこの(多摩センターの)入園式での園長さんのスピーチが未だに忘れられない。
50代後半くらいのベテランって感じの先生で、式のあいさつでこんなことをおっしゃった。

「あのね。。。お母さんたちに初めに送りたい言葉です。。。

私の話をさせてくださいね。

私はね、こういう仕事をしていてかれこれもう2000人近くの子供たちを見てきました。

その2000人のその子供たちいろんな子がいて本当にいろんなことがありましたけれども
「腹が立った」って事が一度もないんですよ。

ところが私のたった2人の我が子供には心底腹が立ったんですよ。

これだけたくさんの子供たちに接していながら。たった2人のわが子に。

お母さん、「お母さん」ってそういうものなんですよ。

お母さん、どうかそのままのお母さんでいてくださいね。

親は子供に腹が立ってしまうものなんです。」

我が息子も思った以上に成長してくれていること自体は本当にありがたいことなのだけれど、自我がすこしづつ芽生えて来てかなりイライラすることがあった時期で、
聾学校の日記や絵日記、指導は大切なのだけれども、、精神的に追い詰められる時も多々あった。

「母としてこうあらねば。。」というような意識があったのかもしれない。

「そうなんだ。。親ってそういうものなんだ。」園長先生の話を聞いてものすごく救われたような気持ちになった。

本当は何に腹が立っているのか

私には娘がいて彼の4つ下なのであるが、その子が4-5歳位の時
ものすごくおしゃまでおしゃべりも上手で面白く、かわいかったのだが、なんていうのか、やんちゃというかワイルドというか、、ちょっと大変な時期があった。

子供を叱る場面、というのは一日の中で何回もあるのだけれども、その時自己分析してみたら「心底腹が立つこと」=「自分と似ているとこ」だったりすることに気がついた。
娘の保育園の園長さんにその事を話したら、
「そうなんですよ( ゚∀゚)アハハ あら。今までわからなかった??」と明るく笑い飛ばされた。

娘の場合は比較的わかりやすかったが、玄の場合はそう思えるのに時間がかかった。

まあ「腹立つ」けどよくよく状況を聞くと必ずしも子供が「悪い」わけではなかったりすることも多い。

こちらにとっても「怒らない」で落ち着いて「教える」という事が出来る時もある。
他人の親子のパターンを見た時、「なんでそんなことで怒るんやろか?」と思うこともよくある。

なのにどうして我が子に「腹立つ」ときってこうも「腹立つ」のか。

一つ一つの感情が(自分自身を好きになるために)自分に教えてくれているものだとすれば、(対象である)「子供」はその時々で「私自身」を表現しているんだろうなあと思う。
自分が自分自身の気づきを得るまで子供が何度も繰り返してくれる。

でも気づきとかそういったものはひと騒動が落ち着いて、後にならないとわからないようになっている。

開き直りのようだが、怒りすぎたら謝るしかない。

子供は感情あらわにして母に向う。同じく母も子供に感情あらわにして子供に向う。
まさしく鏡のようなものなんだと思う。

ちなみに私は「すみこ」というのだが、今だに「すみコング」と娘に呼ばれている。。。。